エージ−フーズ事件
京都市判平17.3.25
T 事件の概要/事実関係
@ 会社Aは、レストラン、飲食店、喫茶店を経営している。
A 甲は、会社Aに昭和50年7月、アルバイトとして採用され、同年9月に正社員となった。以来、その業績が認められ、平成4年7月には、X店の店長にまで昇進した。
B X店は、会社Aの経営する7店舗のうちで最も売上げの多い、いわば中核をなす店舗であった。それだけに店長としての責務は大きく、実際、多忙を極めた。たとえば、休日は月に2日程度、1日の平均労働時間は12時間前後という具合であった。
C しかしながら甲の奮闘にもかかわらず、X店の売上げは、平成5年以降、減少傾向をたどった。
D 会社Aの社長Bは、売上げの減少につき、甲と話し合いを持ったが、最終的には甲の営業活動に限界があると判断。甲に対し、X店からY店への異動を内示した。甲は平成8年1月頃、いったんはこの異動を了承したものの、その後数回にわたって社長Bに対し、これを不本意であると抵抗した。しかるに社長Bらは甲を強く説得しつづけた。
E これに先立つ平成7年秋頃より、甲は疲労感を訴え、ついには同年12月頃、うつ病の症状を呈するに至った。さらには、平成8年2月頃、食欲減退や不眠症に陥り、そのことを社長Bに訴えるようになった。
F 平成8年2月10日、甲はY店の階段で足を滑らせて転落し、その負傷を治療すべく入院した。そのとき、家族に対し、異動のことでノイローゼになっていること、店長の職責を全うする自信を喪失したことを述べた。
G 平成8年2月14日、甲は投身自殺を遂げた(49歳)。
U 訴状の内容
@ 会社Aおよび社長Bらは、甲の勤務状況、および、勤務との関わりにおいての心身両面にわたる健康状況などに十分な配慮をなすべきであったのに、それに必要かつ有効な方策を講じなかったのは、安全配慮義務違反にあたる。
A 甲の遺族らは会社Aに対し損害賠償を請求した。
V 判決の内容
@ 甲の労働時間について。
勤務時間は店長の裁量によって決められるから、極言すれば、店長はタイムカードを恣意的に記録でき得る。それゆえ、タイムカードの全てが勤務時間だとは断定できない……と会社Aは主張するが、業務の実態から見て、タイムカード上の時間が業務に充当されていたことと認められる。
A ストレス要因の有無について。
会社Aは、長時間労働が継続するがゆえに業務内容が加重であると認識しつつも、甲に対し売上げ回復のためのさらなる営業努力を要求した。そして、甲が不本意であると抵抗した事実に見られるように、その成果を待つことなく、あるいは成果の上がらないことにつき甲を納得せしめることなく、異動を強く説得した。これが甲のストレスを高じさせた引き金であることは、否めない。
B 甲のストレスが高じ、事実、疲労感を訴える状況の中での異動の内示は、うつ病を惹起し、さらには正常の認識、行為選択能力を著しく阻害し、または精神的な抑制力の阻害をもたらすに至った。自殺は、こうした一連の精神作用の結果と断ぜざるを得ない。
C 安全配慮義務について。
使用者は、雇用契約に基づき、労働者の業務遂行に伴う疲労や心理的負担などが過度に蓄積して、結果として労働者の心身の健康を損なうことのないように注意する義務を負う。しかも、社長BはX店に日常的に出入りしていたのであるから、会社Aの過重な業務の実態を知り得、また、甲の異常な精神状態を知り得たにもかかわらず、これらに対する改善措置を講じなかった。ゆえに会社Aの安全配慮義務違反は明白である。
W ポイント/教訓
過重労働→うつ病→自殺の因果関係が認められ、使用者が過重労働を軽減する措置を講じなかったこと自体が、使用者の安全配慮義務違反であるというのが、今や、裁判所の定着した判断だと言えます。
では何をもって過重労働とするのでしょうか?
その直接的な認定資料としては、何と言っても、労働時間の多寡にあります。ですから、使用者はまず、従業員の労働時間の把握を徹底しなければなりません。通常、労働時間はタイムカードの数値に基づきますから、
a.タイムカードの使用が適切に行われているかどうかのチェック
b.タイムカード上の労働時間の把握(直近1カ月で100時間、2〜6カ月で80時間がメド)
c.タイムカードが不向きな業務の場合には、自己申告制の併用などの工夫
などが必要視されます。
次に考慮すべきことは、安全配慮の実を示す施策です。
a.心身、とりわけメンタルに関する相談窓口の設置
b.いわゆる健康診断にメンタル面の診断項目を加えること
などがその一例です。
この場合、言うまでもなく、個人情報の厳格な管理が不可欠です。人は誰でも、身体的なそれに比べ、精神的な疾患を秘匿する通有性があるからです。
昨今、うつ病→自殺のケースが多くなっています。決して軽視することは許されません。本件はその警鐘だと言えましょう。